「オリンピックでコロナ対策への危機感が薄れる」って人間ってアホだなぁと思った。
オリンピックがあろうとなかろうとコロナ禍であることには変わりなく、一般市民がやるべきことは手洗い・うがい・マスク・三密回避・ワクチン接種だ。とても明白だ。ただそれをすればいいだけじゃん。
…と思ってしまうのが私の悪いところなんだろう。他のときでも、やるべきことやルール、制度が明白であればそれに則って行動をするのが当然だと考えている。ルールなどに異議があるならそれは主張すればいい。
しかし現実はそんなにドライなものではないらしい。人間がルールを守るにはモチベーションが必要になる。そこがずっと分からなくて周囲の人間の行動が理解できず、様々な失敗をしてきた。不必要なプレッシャーをかけられることにストレスを感じたり、ルールを守らせる環境作りができなかったりした。
人間のは感情から行動するということに気が付けなかった傲慢さが私にはあった。
お母さんが子どもに「やっちゃダメよ!」と叱るように危機感を煽ってあげなきゃいけないほど人間は愚かな生き物であると認識されているらしい。
プレッシャーをかけられるとストレスになってやるべきことをミスる私にとっては生きにくい。
長く続くコロナ禍において、危機感をモチベにした感染対策の行動をするというのはストレスじゃないのかな。
危機感という心の負担はゼロでいいから、感染対策の行動はただ粛々とするのが1番楽だと思う傲慢さを私は捨てきれない。