海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

ゆらゆら揺れて、ここはどこ

 

 ひとりの人間である。肉体があり、自我を持ち、生活がある人間である。究極的には自分のことは自分にしか助けられないし、感情を寸分たがわず別の人間と共有することはできない。孤独な個人であり、精神と身体は自分のものであることを認識する必要がある。

 

そのうえで、人間は社会的生き物だ。人はひとりで精神と身体を維持できない。アイデンティティは個人が個人であることのみで形成されない。ゼロからはなにもうまれないから社会の寄せ集めが個人かもしれない。

 

国家。伝統。宗教。会社の理念。倫理。家庭。ほかにもたくさんある、自分の外にある大きな物語。それらとの距離感を考える。

 

神が自分のなかにある時代だと言ったのは誰だっただろうか。確かにそうかもしれない。自らは自分という王国の王であり、神であり、それを存続させる兵士である。しかし、個人は思っているより弱い。足りないものがある。いずれ迷う。信じるものを間違えなければ、外に信じるものがある人間は強い。

 

個人の自由を尊重することは大事だ。大きな物語は個人を侵食しがちな歴史があり、それに対する抵抗や警戒が叫ばれる時代のような気がする。しかし一方で一体感を欲しがる時代がおそらく来る。もう無意識に来ているのかもしれない。オタク的行動や推しという言葉がポピュラーになっているのもそのあたりが関係しているとも思うし、娯楽でそれを昇華するのは行き過ぎなければ健全だと思う。

 

個人が孤独な個人であり精神と身体を自分でコントロールすることと、大きな物語に所属することは両立する。させる必要がある。

させないとおそらく大事なバランスが崩れる。

 

というのが「実感を持って」考えていること。知識がないのですげぇあやふやな感じだけど、誰かに主張するための文章ではなくて実感をそのまま取って出しすることが今の私には必要なのでとりあえず良しとする。