海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

決定論者じゃないけどさ、

 

楽しい、悲しい、悔しいなど自分の感情がどう動くかって自分の元々の性質と幼少期の出来事が深く関わってくるんじゃないかなと思う。

モチベーションがどこからくるかとか、なにに価値を置くかとかも含めて。

 

多分そういうのって努力とかでどうにかなるもんじゃない。なにかを努力することはできても、努力するモチベーションを選ぶことはできないというか。

 

例えば私は、自分で働いたお金でなにかを買うということに喜びを感じることはない。

自由になにかを表現するということに喜びを感じることはなく、不安を感じる。

自分が知らなかった新しい価値観を見せてくれる人は好き。

変わらないものに安心と信頼を覚える。

所謂「ガリ勉」みたいなものはむしろかっこいいと思っている。

「物」そのものには興味をあまり持てず、「物語」に興味があり尊重する。

論理的に筋道があっているかどうかが信頼できるかの基準の一つである。

 

人間は感情で動く生き物なので、感情がどう湧いてくるかが自分でコントロールできないというのはなんだか恐ろしい。すべてを何者かに決められているかのようだ。

美味しいと思うものを不味いと思うことは難しいし、その逆だって然りだ。

 

論理や倫理、正義だってそれら単体だけで人間は動けない。それらは感情が動く一要因で、感情がそれらのあり方を決めることだってある。

 

人生を良くしていこうとしたって、努力でなにかを手に入れたと思ったって、それはすべて感情の奴隷だ。人間は理性の生き物ではなかった。ものすごい行き詰まりを感じる。そして私は、この文章を明るく先を向くことのできるような形で締めたいとどうにかこうにか抗っている。