https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2020072624265
あっ、人間国宝の人じゃん!観よ〜!となんとも軽い気持ちで観たら衝撃を受けました。
いかけ屋という職業の松五郎の生い立ちから、悪に走るまでの物語。
暑い盛りに出会った貧しい枝豆売りの母子にお金をめぐんだ松五郎、川面を見ると舟で豪遊する商人の姿が…(上記URLより)
当時の江戸の貧富の差とどうにもならない憤りが目の前にぐわっと現れたようでした。
枝豆売りの母子と豪遊する商人の存在が匂い立つような説得力を持って語られます。
「あれも人ならこれも人か」という松五郎の言葉。心にドサっとなにかが落とされたような衝撃を受けました。
な、なんなんだろう、どっからくるんだろうこの説得力。
講談は舞台の演劇のように感情をたっぷり込めて演じることはされない(らしい)。そのような想像の芸なのに、あまりに確かな衝撃がそこにはありました。一体なにをみたんだろう私は?
講談も歴史も超にわかで知識なしの私なので、分からない単語もあるし、取りこぼしている情報はかなりたくさんあると思います。(恥ずかしながら、ベッドの上でごろごろしながらスマホで見始めてしまったために最初見たときはいつのまにか寝ていたくらいなのだ…)
そんな私ですらものすごい衝撃を分かりやすく受けた。
分かりやすさとはいろんな種類があるものだな…
この衝撃から、この話が作られた背景やこの話を聞いた当時の人たちはなにを思ったんだろうというところが気になりました。
さてネットで調べてでてきたのはあくまでWikipediaの情報ですが……
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/白浪物
貧富の差というテーマは現代にも通ずるものがあります。しかし、草履も買えないで裸足で枝豆を売って歩く子どもという貧困の情景はない。食べ物や物品が溢れている現代でふわふわ生きている私でも衝撃があったのに、当時の江戸の貧困を目の当たりにしている人たちは一体どんな気持ちでこの話を聞いていたんだろう。
当時の情景や人の気持ちに想いを馳せて、江戸時代が現代と地続きであることを認識しました。昔の時代があって今の時代があること、頭では分かってるんだけど、どうしても歴史の授業とかだと「今とは別の世界」で理不尽で現代と違うところがあっても「そういうもの」と頭では処理していた。
良い講談って、目の前で人が語るからだろうか、あまりにリアリティがあって生々しい。
江戸時代が「今とは別の世界」ではなく地続きになる。伝統芸能ってすっげぇなぁ。講談ってすっげぇなぁ。
感想がまとまらないし、文章の形もめちゃくちゃになってしまった。よくない。ああ〜〜〜!!!!!