講談で人気の赤穂義士伝?忠臣蔵?ってなぁに?と思って歴史ヒストリアで忠臣蔵の回を観ました。
こういう経緯があって…亡き主君に忠義を尽くすために、死ぬものと覚悟して46人で討ち入り……つまりはまぁ首を取りに行くという…武士道だ…ナルホド…と流れを理解をしたつもりになったものの、現在の道理とはあまりに違うのでなんだか不思議だなぁと感じたところがあったのも正直なところです。
でも現在の道理で判断して評価をすべき事柄ではないというのは分かりました。
忠義の物語が現代において平和に楽しめる娯楽であることが嬉しいなと思いました。
組織やその理念のために命を捨てて行動するというのはとてもドラマチックだし、憧れも分かる。
けれど、それを実際にやる側になるというのは別の話です。物語の素晴らしさをプロパガンダとして利用して命をかける献身を煽られたくはない。
またはこの物語を規制されて受け継がれてきたものをないものにはされたくない。(実際に第二次世界大戦後は規制されていたらしいですね。)
これらの心配をすることなく、赤穂義士伝または忠臣蔵に憧れて感情移入をして完全に娯楽として楽しむことができる。
そんな時代でよかったなと思います。
神田伯山先生が愛山先生から義士伝は別れを描いていると教えてもらったというエピソードが大好きなのです。
今と道理が違う世界でも同じ人間、別れの悲しさは同じでストレートに共感できる部分もある。
やはり講談は当時の世界と現代を道続きに繋いでくれるなと思いました。
義士伝は話数が多いので、これから聞く楽しみもいっぱいだなぁ。