ハロープロジェクトは歌って踊るアイドルである。現在、これを否定する人はいないと思う。アイドルと音楽について議論が交わされていることに関連して、私が考えたことを書いてみようと思う。最初に言い訳をすると、これは音そのものや音楽の歴史について知識がないただの一個人の独り言でしかない。
『ASAYAN』の『シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション』の落選者5名により、ハロプロの先駆けであるモーニング娘。が結成された当初から変わらずに歌うことと音楽に真剣に向き合ってきた。
ハロプロは歌が上手いというなんとなくのイメージを持っている人もいると思う。
しかし、ボーカルの上手さや技術がメインで評価されてきたかというとそれは違う。ハロプロでデビューする年齢のメイン層は中学生、または高校生である。どんなに歌が上手くとも未熟さはあるし、いままで歌うことをあまりしてこなかった子もいる。そこでなにが評価されてきたかというと努力する姿勢、「音楽に真剣に向き合う姿勢」だと思う。
先生に厳しく指導されながら、自分が越えられていないハードルをそれでも越えようともがくこと。単純な歌の上手い下手ではなくて、そこが評価されてきたと思う。
そのもがいている人間的な魅力がたくさんの人に勇気を与え、惹きつけ、成長を見守りたい、応援したいという気持ちにさせてきた。
上記のことはダンスについても同様のはずだ。ハロプロにおけるアイドルは汗をかきながら歌って踊ってパフォーマンスするという人間くささを隠さない。
歌って踊るということはアイドルの人間の部分なのだ。
ボーカルの上手さが直に評価されるわけではないというのは、シングル曲を見ても分かる。激しいダンスをしながら、それぞれのメンバーの歌う部分はフレーズごとに細かく分かれている。なにせ、モーニング娘。は現在14人で歌うのだ。もちろん歌が上手ければ歌割は多くなるが、メンバーのそれぞれの歌声をきちんと味わえる機会というのはコンサートであっても限られてくる。
ボーカルの上手さが単純に評価されるわけではないというのは、実はアイドルだけではなくて大衆音楽全体におけることだと思う。バンドであっても歌手であっても、それぞれに物語があって世界観を作り、歌に説得力や魅力として滲み出て人を惹きつける。
人間力というと薄っぺらい言葉になりそうだが、要はそのようなものが重要なのだと思う。
ただ「音楽に真剣に向き合い努力する姿勢」という物語が人を惹きつけるのは、それはハロープロジェクトがアイドルだからだ。
音楽に向き合っている姿そのものや、努力して歌が上手くなった、魅力の見せ方が上手くなったという過程に惹きつけられるのはアイドルだからだ。
曲そのものという作品だけを楽しむのではなくて、成長していく姿が見たい、大きな会場で歌う姿が観たいと「応援」するのはアイドルだからだ。
ハロプロのアイドルは成長の過程で自己を確立させ、やりたいことや表現したい自分の世界を見つけて卒業していく。
アイドルであることで大変なことはたくさんあるだろうけど、そのぶん「未熟なところから成長する姿が評価されて最初からファンがつき、様々なお仕事が経験できる」環境を存分に利用して成長して、表現したい自分の姿を見つけていってほしいと思う。それが芸能のお仕事でなくとも、年齢が若い段階であったとしてもそれを見つけられたことは素晴らしいことだ。だから、卒業には「おめでとう」というのだ。
話がちょっとズレてしまったが、私はハロプロの子たちが音楽に向き合っている姿が好きだ。細かくとも自分だけが歌えるところに魂込めちゃう心意気が好きだ。音源で聴いているだけでは引っかからなかったワンフレーズなのにコンサートで聴くとガツンと心にくるときなんかは本当に気持ちいい。
成長して花開く瞬間をみれるのが好きだ。
努力と汗が滲む人間の魅力がある歌が好きだ。
人数の多くなったハロプロのコンサートで、あまりよく知らなかったメンバーが伸びしろのある未来を感じさせる未熟さやアンバランスさのなかで影の努力が滲んでいるような姿を発見するのも好きだ。
ハロープロジェクトというアイドルの音楽が好きだ。