海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

エモーショナル・フィルター

 

感情の動きが文字になる、音楽になる、漫画になる、映画になる。世間に認識される。

 

 

生存フィルターという感覚がある。生き残ったものしか語れないことがあるということだ。

「学校や仕事をやめたってどうにでもなるよ!私は学歴もないし雇われることにも向いてなかったけど、フリーで稼いでる。だから肩書じゃなくて努力が大事!」

といった言葉に

「それって生存フィルターじゃん」

と思う、みたいな。

 

そのベクトルが逆というか、ズレたもののバージョンがあるはずだ。

つまり穏やかに過ごしている人は語らず、悩んでいる人しか語らないためにその境遇における人はみんな悩んでいるようにイメージを持たれてしまうといったような状態が起こっているはずだ。

 

例えば、恋愛をしたことがない30歳という状況。

これについてインターネットで検索すると、それについてどうにかしたいといったブログや悩んでいたりコンプレックスに思っているような情報ばかりが目に入る。

苦しんでいることが前提なのだ。でも、その状況をなにも気にせずに過ごしている人はこの世に存在するだろう。

 

イケメンのセフレになっている女の子はみんな本命になりたいと思っているわけではないし、モテない男がみんなそのことを気にしているわけではない。

 

例が上手く見つからないけど、とにかくだ、別にその状況を気にしていない人だっているのだ。でもそれは表現されない。その存在は見つけにくい。

 

だから情報収集は偏る。「気にせずに穏やかに過ごしているひと」はその人と関わって、その人に悩んでいるフリもさせずにその部分を無理に引き出しでもしないかぎり見えない。

 

感情の動きがあるところには共感や反感が集まり、お金も集まる。だから感情の動くものが注目されがちだ。

 

それでもストレス過多な現実への処方箋って「気にせずに穏やかに過ごしているひと」の存在なのかもしれないなぁとぼんやりと思うよ。

 

追記

 

「生存フィルター」という言葉に違和感を持っていたら(なにせググっても出てこないのだ!)「生存バイアス」では?とありがてぇ知識をいただいた

それやんけ!!!!!持つべきものは友!