海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

私とあなたが「無敵の人」になる可能性

 

インターネットスラングで「無敵の人」というとなにも失うものがない人のことをいう。

 

『いわゆる「社会的繋がり(他者へのコミュニケーション)の皆無」「家庭環境・無職・挫折などに起因する価値観の崩壊と劣等感の誇大妄想」などの条件により失うものが何も無くなっている状態を指し、このような状況の場合概ね自暴自棄な感情を持ち無敵とは裏腹に自ら敵を作っていく傾向にあるらしく、極端な「成功者への妬み」「社会への復讐」といった思考に陥っている。 』

引用元:無敵の人 とは【ピクシブ百科事典】 https://dic.pixiv.net/a/%E7%84%A1%E6%95%B5%E3%81%AE%E4%BA%BA #pixpedia #pixiv

 

自らが無敵の人になる可能性についてぼんやりと考える。

長年死にたいなと思っているので生きることには執着はない。死ぬ気になればなんだってできるというが、それは死ぬ気になってしまうとどんな悪いことだってできるということでもあるのだと思う。

今は親がいるので流石に家に報道陣が来るようなことは避けたいが、親はずっといるものではない。

親がいなくなった時には私は失うものがなにもなくなるのではないか?

その状態で、経済状況含め物事が上手くいかなかったときに「価値観の崩壊」を絶対に起こさないと言えるのか????

私の狭いキャパシティーとメンタルの弱さを考えると恐ろしくなる。

さまざまなことを表に出すことができなかった結果、自分の中でドス黒い気持ちが大きくなってしまう経験はしたことがある。

それ以上の波が襲ってきたときに私は自らを保つことができるのか。

 

私の価値観や倫理観が崩れることを防いでくれるのは、本や映画、音楽、アイドル、講談などの物語の力だと思う。

他者の作った物語に触れることは他者とのコミュニケーション、社会的繋がりの一つにもなりうる。

新しいものを好きになる余裕がなくなっても、これまで私が好きになってきた物語だけでもそれは失いたくない信じていたいものだ。

私の状態がどんなに悪くなってしまっても、物語を好きになったという過去は奪えない。

物語は私を良い方向にきっと導く。

価値観が崩れそうになってもハッと我に帰ることができる。

私の周りに誰もいなくなって無一文になったとしてもだ、図書館で、街中で流れていた音楽で、ふと目に入ったポスターで自分を取り戻せると信じている。

なにかを好きになった経験は、なにがあっても私から奪えない財産かつ心のゆとりである。

自分の人生のなかで良質なエンタメや文化に触れて遊ぶことができた時間って、自己を形作るめちゃくちゃ重要な時間だったのでみんながそんな時間を持てる世界になるといいと本気で思う。