海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

物語は大人にとって無力か?

 

達成するべきことへのモチベーションが低い。

 

そんな時にストーリーとして求められる展開は、「周囲に励まされて頑張れるようになって達成しました!」や「ライバルが現れて対抗心が出て達成しました!」だ。

つまりモチベーションが上がって努力をするという過程が、小説だけではなく成功者のインタビューでも求められがちだ。

 

そのストーリーがすべてだと信じてしまうと、モチベーションをあげることに躍起になってしまう。モチベーション…つまりは感情に焦点を当ててしまうとコントロールがしにくいので結構つらい。くるしい。

また、モチベーションがあっても間違った努力をしていれば結果は出ない。

 

努力、やる気、モチベーションなどの言葉を軽率に使ってしまいがちだけど、本質はそこにはないのかもしれない。

なにかを達成したいならそのためにやるべきことをやって修正して、またやるべきことをやる。

それだけで、感情は関係がない。

そのことはある意味では大きな救いで、肩の荷を降ろしてくれる。

 

(ただやる気があったり情熱があるふりをするのは得なんだろう。こういうことって当然なのかもしれないけど誰も教えてはくれなかったな)

 

小説やアニメであったり、大きくいうと物語というジャンルは感情を描くものだと思う。

大人になるとそれらから離れてしまったり下にみたりする人がいる理由がなんとなく理解できてしまうようになった。

アニメは子どものものだから、時間がないから、とかそういう表面の言葉や偏見だけではなくて本質は深いところにあるのかもしれない。

その他のいろんな場面でも、感情が全てではないのだと、むしろ邪魔になることも経験していって大人になったのだろう。

ハッピーでいたいのなら悲しい物語はいらないし、穏やかな結婚生活を目指すなら喜怒哀楽の激しい恋愛ばかりはしてられない。

だから感情に焦点をあてて、感情が賛美されるものは辛いのだ。

感情にどっぷり浸かると、感情に焦点を当てない世界に行くにいく切り替えが難しい。

今までどっぷり浸かっていた人間こそ切り替えが難しいのかもしれない。

物語ってひどく無力なのかもしれない。

 

それなら私は切り替えられる力をつけて、ポジティブな感情もドロッドロの感情も他人から流れてくる感情もなにもかもどっぷり浸かれる大人になるぞという決意であります。

だって感情って面白いからね!