海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

良い子でいたかったんだよ

 

 小説、演劇、講談…とにかく物語が好きだ。だけど自分で作ろうみたいな気持ちになったことがほぼない。いろいろとその理由は浮かぶ。

 小説家など感受性で仕事をしていくことはどうせ無理だからやる必要もない、と子どもの頃に当時は理性的に判断していたつもりだった。今になってようやくそれが斜めに構えていただけだと気がつく。

 「好きを仕事に」というようなフレーズを恥ずかしいことに心の中で少しバカにしていた。

 そんな生き方ができるのは才能を持った一部の人なんだから、堅実に将来を考えていかなくっちゃ。

 でもそう思うのは、自分に出来ることがない劣等感を隠したかったからだ。25歳になって思う、夢は追ったもん勝ちだったんじゃないか?

 

 仕事でなにを扱うかが重要じゃなくて人との関わりや結果を出すことをモチベーションとする人がいる。というか、「好きを仕事に」している人以外はだいたいがそうなのだ。

 私はというと、そこをモチベーションにできないと気が付いて、とんでもない人生の間違いをしてしまったのではないかと足がすくむ。

 つまらない仕事をしているのではない、私の仕事の仕方がつまらないのだ。意思や自我を押し込んでゾンビのように仕事をして、週末になるとぐったりと休む。そうしてまで仕事をして生きたい理由も守りたいものもない。つまらない大人に成り果てた。

 

 「好きを仕事に」しても仕事というのは地味なルーティンの積み重ねなのは知っている。感受性で仕事をしていないぶん、日々の喜怒哀楽を見つめなくていいし積極的に忘れていい身軽さも知っている。「私」が辛くなったときに、人格を「社会人としての私」のみに委ねて仕事の忙しさに身を任せると時間を忘れて過ごせるのはありがたくもある。

 

 それでも、そうして過ごしながら確実に老いていく感受性と身体に気がつくと発狂しそうになる。

 

 こんなブログを月曜日の昼休憩に書きながら、私の人生どこに行こうか。