海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

物とアイデンティティ

 

サブスクとは、料金を支払うことで一定の期間サービスを使う権利を買うことである。

映画や音楽のエンタメ系から盛り上がり、いまは服やバッグ、車なんかもあるのだとテレビニュースで紹介されていました。

そこで出演者が「持った瞬間に市場価値が落ちるものは所有しない。上がるものだけ所有する時代になると思っていた」というような趣旨の話をしていて、そんな割り切った考え方があるのかとびっくりしたわけですよ。だって、物の価値って自分にとっての価値がどれくらいなのかが重要で、市場価値とか考えたことがなかった。車とか大きい物を買った経験が私にないからかな。あ、その出演者の発言を批判したいわけじゃないですよ。合理的な考え方だと思うし、この出演者だって自分にとって思い出のあるものとかは市場価値が下がるものでも所有するんだろうし、たぶん。

 

その番組のなかでは「通勤の時はこの車、家族と一緒のときはこの車……と物を変えても運転してる時の音楽や椅子の角度など”情報”を動かせばどの車も自分の車になる」というような考え方も紹介されていました。家具のサブスクもいいんじゃないかという声もありました。なるほどな〜〜と思うと同時にサブスクが増えまくった生活を想像してちょっとグロテスクだなと思いました。

グロテスクっていうと言い過ぎだけど。なんというか、あまりに流動性が高すぎるというか。映画とか音楽とかエンタメはもちろん車とか服とか物自体にも個人のアイデンティティみたいなものが出てくるじゃないですか。日常使うものって無意識に愛着があって自分の一部だったりもする。なんというか、心の拠り所みたいなのがどんどん見えなくなるなぁと思ったのです。

 

詳しくないのでただのイメージなんだけど、昔は心の拠り所が地域のつながり・文化・宗教だったり、愛国心だった時代があったり、テレビというメディア一強で同じみんなが感覚を共有してたり…みたいなことがあって今は個人の自由が強くなってるんだと思うんだけど。個人にそれぞれ好きな物があるのが認められる、発信できる時代になってその次は…?

サブスクがさらに増えて、産まれた時から物の流動性(≒アイデンティティ流動性 ?)が高い状態が当然みたいな世代も出てきたりするんだろうか…選択肢が増えて自由なんだろうけど、自分で自分の形を作れないとなんだかよく分からない存在になりそう。自由って一見良いものに見えるけどそれは不安や孤独と接しているものだし、自分とはなんなのか…という悩みを持ったことのある人は多いでしょう。その大きな不安のなかで先導者みたいなのが現れると盲信しちゃったりね。

まぁなんというか、時代が変化していくなかでいろんなものに飲み込まれずに自分の形を保てるようにしたいなぁという話です。

あとこれ書いてていろいろ勉強したいなぁと思いました。哲学の歴史とか知識あればこのあたりで感じたことをもうちょっとちゃんと言語化できたのかしら。