海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

不倫と正論、たぶん似てる

 下品だな、と思う。

 芸能人の不倫報道は度々起こる。今回はあの人が、次はこの人が。その度に「そんなことをする人に見えなかった」「CMの契約等の経済損失はどれくらいか」「不倫も芸の肥やしだ」「不倫相手も悪い」「子どもがいるのに」毎回同じような言葉がワッと交わされ、いつの間にか忘れさられていく。その繰り返しだ。まるで祭りのような様相になる。

 

 不倫は悪いこと、というのは正論だ。その単純明快で簡単な正論を言うだけで、絶対的に正しい立場になれる。絶対的な正義になれるということ、それはとても気持ちが良いことなのよ。

 

 夫婦の繋がりは性愛だけなのだろうか。そんなわけはない。もちろん、性愛に基づくことで信頼が失われるということはあるのだろうけれど。夫婦の繋がりってなんだろう? 見合い結婚が当然の時代があったり、恋愛結婚ができる時代がきたり、姦通罪があった時代があったり、その時代だけでみても価値観は違う。今は個人の尊重ということに意識が向いている時代だ。夫婦の繋がりだって、その夫婦によって様々だということが尊重されてよい。夫婦にはそれぞれの形がある、いろんなところで言われてきた言葉だ。不倫に関してだって、風俗は浮気であるとかないとか、バレないでしっかり隠してくれればいいとか、まぁ、いろんな形があるのだろう。それにも関わらず、人様の家庭の事情にずけずけと踏み込んで、「不倫をしているぞ!」と騒ぐのだ。なんのために?不倫が起こった家庭にとって迷惑なことは確かだ。不倫された側のためになるわけもなく、報道することでさらに追い詰めている。自分が浮気されたら絶対に周りに知られたくなんかない。家庭のなかで人生そのものが変わってしまうようなデリケートな場面なのに、そこで外野が安全地帯から騒ぐのはただただ下品だ。でも、その下品なことを人間は好きだったりする。人間にはどんな人にも卑しい面がある。

 

 需要があるから、不倫報道は止まずに繰り返される。テレビや広告なんてものはイメージで作られてきて、ふんわりと良いイメージだけ都合よく積み上げることはできない。それが嫌ならば、個人のイメージなんかで揺らがない確固たる芸を身に着けるべきなのだろう。

 

 人様の家庭の不倫という事情で騒ぐ人たちやメディアは、その行為はとても下品なことなのだと分かっているのだろうか?週刊誌もテレビも視聴者もSNSの利用者もいろんな立場からいかにも真面目くさった顔をして正義ぶるけれど、それは下品で下劣でとても卑しいことだ。