海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

カウンセリングに行った話

 

カウンセリングに行ったことについて記録していきたいと思う。

数年前の話なんだけどね。

 

☆行った理由

常に人とのコミュニケーションが苦手であり、緊張しやすく、うつっぽくなりやすいところがある。それがカウンセリングでなにか楽になれるような糸口があるんじゃないかなあという期待と興味があったので行った。そして社会人2年目くらいでようやく土曜日にカウンセリングに行こうとする元気がようやくでたというのもある。

闇の時期が来る前の対策みたいな。

 

☆場所選び

通える距離であること、臨床心理士または医師によるカウンセリングであること、適切な値段設定であることが条件で探した。

これが面倒であり本気で元気がないときは探そうなどと思えなかったのである…

近場の50分8,000円のところに落ち着いた。適正価格から離れていないと思うし専門職への敬意も払いたいが、なかなか痛い出費であることは間違いない。

 

☆初回面談

困っていることを話し、生まれてからどう過ごしてきたかを聞かれて答える。

努力不足じゃなくて元々そういう性質みたいなことを言われる。

 

☆5回以上は通ったが……

結果として予定が重なってキャンセルしてから行かなくなってしまった。

理由としては具体的になにかをする場ではないというか、なにを目的に話しているのか分からなくなってしまったのである。

共感をされても心が動かないし落ち着いたりもしなかった。これは本気で行き詰った闇の時期だったら感情が溢れるみたいなこともあったかもしれない。

しかしこの時のメンタルは自分で土曜日に外に出られるくらいは元気で、「50分8,000円使ってる!!」というプレッシャーに近いものもあって感情な救いより少し具体的なものがほしくなってしまった。

元々そういう性質と言われても、さて、私はどうしたらいいの?とポカンとしてしまったところがあったが、それは自分でどうにかせねばならないということなんだなと思った。

具体的な解決の糸口なんてどこにもないのだ。

自分のことを50分延々と話して聞いてくれるという体験は日常でないものだと思うので、不思議な感覚になることはあった。だからカウンセリングとして成立していたとは思う。自分がどうしたいのか探っていくというか。

しかしなにも湧いてこない、空っぽなのである……

あと「もっと困っている人はいる」と言われたのが嫌だったのもある。

そんなんめちゃくちゃ分かってはいるがそのうえで私は私なりに困っててどうにかしようと思ったし悩みを話す場だからマイナスなことを話しているだけであって楽しいことも日々あるし今はわりと元気だし……あれ、元気な時に行った私がいけないのでは??oh……となってさらに予約を取ろうとはしなかったのである……

 

☆今思うこと

最近、「カウンセリングルームで起こる問題は日常でも起こることである」みたいなことを聞いてなるほどなと思った。カウンセリングルームに通って私に起こった問題は、目的意識の薄さ、どうしたいか分からなくなる自我の薄さ、などである。

うぉお、確かに私そういうとこあるわ、耳が痛い。

カウンセリングでどう思ったか振舞ったかを客観的に見てみようとするといいのかもしれないね。ということでこのブログを書いてみたよ。おわり。