海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

ひとりごと

 

このブログは検索された結果読まれることはほぼないのですが、それでもそれを避けるためにあえて国名はいれません。

 

戦争が本当に始まってしまうと気軽に不安だとも言ってはいけない気がしてしまいます。

感情はできるだけ抑えて、ただただ淡々と日常生活を送り、それでも情報を見つめながら自分がどういう考えを持つかを確かめていくしかないというか……

 

Twitterには本当なのか分からない現地の人の情報なども溢れていて、それを拡散してしまうことが戦争に加担することに繋がるのではと思ってしまいます。

 

困っている市民のためにと思って寄付をしようと思っても、そのお金が武器となり人を殺すことに繋がるのではないかと想像してしまいます。

 

ニュースを見ても、そもそも「陥落」とはどういった状況なのだろうとか、制裁として資産の凍結をすると聞くと、へぇそんなことってできるんだ…と思ったりして知らないことがたくさんあることに気が付きます。

 

私にも分かることは、憎しみは憎しみを生むということです。

今は戦争に反対している人たち(それは兵士たち個人の心の中も含む)も、自らや身内が危機に晒される状況が続いたら武器を手に取り人に向けるようになります。

最初は自衛と言いながら武器を手にしていたかもしれないけれど、いずれ憎しみで武器を手に取るのでしょう。

こんなものは早く終わらせなければなりません。

 

……どうやって?

 

 

緊迫した情勢をきいていても、「戦争は起こらないだろう」そして「こんなものは長くは続かないだろう」という気持ちが自分のなかにありました。

そして、それが今までの戦争のなかでよく思われていたことだということにもすぐ気が付き、よく分からない失笑が生まれました。

「クリスマスまでには帰れるだろう……」

 

この戦争はいずれなんと呼ばれるのでしょうか。

 

歴史を学ぶ大切さを、歴史は現在と地続きであるという実感をこんなことで得たくなかったと思います。

 

今までも武器により一般市民が亡くなるような紛争は起きていたはずなのに今更ショックを受ける自分の浅ましさ…「あっち」と「こっち」を無意識に分けていたような浅ましさ……

 

 

まとまっていない文章ですが、まとめる気もありません。

 

まず私は私の日常をきちんと送ることが重要でしょう。

私の日常は吹き飛んではいないという事実が目の前にあります。