海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

それは後悔ではなく

選ばなかった人生があるということを時々考える。

 

時間は強制的に過ぎていくから、生きていれば多かれ少なかれ誰もが背負うものだ。

 

無意識的に選択しているのもあれば、意識的に選択しているものもある。自らの至らなさによって選べなかった人生、痛切な感覚とともに選ばなかった人生、怠惰のなかで選ばなかった人生、あることにすら気が付かなかった人生、その他いろんな人生。

 

私は選ばなかった人生よりも幸せに過ごしていると言えるだろうか。

選ばなかった人生がどんなものになり得たかは分かりようがない。だから想像するだけ意味がなく、ただ今の自分が胸を張って幸せに向かって歩んでいると思えるようになることが必要なのだと思う。

自らが選ばなかった人生への贖罪、というと重すぎだな、責任といえばいいのか。

それを果たすためにも、幸せに向かって歩むしかないのだと思う。

 

私の根本には死にたい気持ちが巣食っているのに時が過ぎれば過ぎるほどそれが許されなくなっている。

自らの愛情と周囲の愛情が私を形作ってしまう。その切実な柔らかい気持ちを裏切れない。相変わらずの死にたい気持ちと愛情を大切にしたい矛盾した気持ちが私の中で存在している。

 

私は生きていくうえでの基礎的なことを理解するのが随分と遅いと自覚している。

なぜ生きたいと願う人がいるのかよく分からなかったけれど、生きたいと願う人は「人は皆生きてるんじゃなく生かされている」(道/宇多田ヒカル)ということを当然のこととして理解しているのかもしれない、とふと思った。