あの大震災の記憶を振り返ってみて呆然とした。うまく思い出せない。いや、そんなバカな。
あの瞬間は春休みでひとりで家にいた。高校入学を控えた中学3年生。東京の近くに住んでいたけれど、人生で体験したことのない揺れだった。やけにいつもいるリビングが明るく見えて、知らない場所みたいだった。テレビをつける。ここより揺れが大きかった場所があるのを知る。マジか…。家電がなったので取る。父親の焦った声が聞こえる。大丈夫か、家はどうか、ほかの家族はどこにいるか。いや、こういうときは救助とかで必要な人が電波(?)使えるようにしなきゃ…とか思いながら、だいじょうぶだよぉ〜とあえてのんびりした声を出す。焦っている人がいると逆に冷静になれることを知る。父親の声から焦りと力が抜けて、よかったなと思う。電話を切る。
テレビの報道をみる。被害や事の大きさを誰も分かっていない瞬間。少数の怪我人、建物の損壊などの情報が流れる。これから爆発的に死者の数が把握されていくことを誰もまだ知らない。津波の情報が流れる。海から遠いところに住んでいるから津波というものをよく知らなかった。津波。突如として現れて物凄いスピードでなにもかもを呑み込んでいく映像。流されている車の中に人がいるんじゃないのか。そう気が付いてからとんでもないものを安全な家の中のテレビで観てしまっていることに気がつく。あそこで逃げている人たち、もうすぐ危ないんじゃないか。
いま、動いてるくるま、津波に呑みこまれたよね…?
……いま、ひと、流れてなかった…?
地獄のような災害の情報だけがずっと何日もテレビで流れることになる。
原発の爆発。聞いたことのないカタカナと、最悪のことが起きたらこれ関東…いや…日本終わるんじゃね…??という雰囲気が流れる。原発への放水作業を呆然と眺めるしかできなかった。
気仙沼の火事。余震。現実で起こっているとは思えないことの数々。悲しみが日本中を覆った。被災地だけではない。日本全体がおかしくなった。日常が崩れた。なにかしら傷を負った。
あのときの衝撃は言葉にはできないものだった。それでも記録を残しておくべきだった。どうにか文字にしておくべきだった。「風化させない」「あのときを忘れない」みたいな言葉に、忘れるわけないじゃん、と思っていた。時が経つということを若かったからかバカだからかよく理解していなかった。10年経った記憶は、なにかしらを取りこぼしてしまってはいないか。
4月になって私は高校生になった。