海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

自殺の対策、その意味

 

そもそも、自殺はしてはいけないのか?

自殺してはいけないとして、それはなぜかという結論としては倫理的な面でしかないと思う。みんなが無意識的に生きることを選んでいる世界において、自殺は秩序を壊すタブーなのだ。それを「神さまからもらった命は大事にしなければ」「生きていればいいことがあるから負けちゃダメだ」「親や周囲を悲しませてはいけない」とか各々がそれぞれの言葉で主張しているに過ぎない。

逆に(コミュニティにおける)みんなが死ぬのを選ぶ場面では、自殺はいけないこととはされない。それは極度に混乱した戦争時やカルト的な宗教の場合だ。つまり正常な社会の状態ではない。

だからまぁ大雑把に言えば、自殺はいけないという社会のほうが正常なんだろう。ただ、自殺した人を「いけないことをした人」としてはいけない。自殺したひとに咎を負わせるのは社会からのただの切り捨てだ。

無意識に生きることを選択し続ける場にも関わらず、死ぬという究極の選択肢を選ぶことに行き着くのであればそこになんらかの社会の歪みがあるのだ。個人の努力ではどうしようもない歪み。自殺ということは個人に問題があるのではなく複雑に絡み合った社会の問題だ。

なぜ自殺対策をしなければならないかというとそこに理由があると思う。自殺対策は感傷や倫理的な側面からやると説得力がない。究極の「同情するなら金をくれ」だ。(語弊があるので追記すると、ここにおける「金」は単純に金銭そのものという意味ではない) また、それは咎を負わせることにも繋がる。社会の歪みの被害者を生き地獄のなかで生きさせるのが自殺対策ではなく、社会の歪みをなくしていくのが理想……だよねぇ……理想論ばかりで実際にどうしたらいいか分からんけど…私が一番言いたいのは自殺したい人、した人が悪いんじゃないよということです。