海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

差別について考え途中のこと

 

・差別をする人は弱い人だと思う。

人の弱さという引き出しは周囲の状況……経済状況だったり孤立だったり不安だったりから開かれてしまう。

差別はいけない、当然のこと。でもただただその正論を振りかざすのではなく、差別の根本になにがあるのかを考えたい。なぜなら誰でも差別をしてしまう可能性があるから。差別をする人が差別をしなくていい世界を作ることが差別をなくす1番の方法だと思う。理想論すぎるかな。

 

 

・差別と経験則の違いってなに?

○○な人は△△、みたいな経験則って多分みんなが無意識に積み重ねているものだ。そういった積み重ねって仕事のうえでとか人と関わるときにある程度は必要だったりする。たぶん、採用の面接なんかもそういった経験則で選んだりもするんだろう。人をちゃんとその人個人として見るのには時間が掛るから、ある程度カテゴリーに当てはめて判断することがいろんな場面で行われているのは想像にたやすい。そうやって経験則やカテゴリーに当てはめるという日常が差別になってしまう境界線はどこだろう。

「○○人は陽気or真面目or冷たいor時間を守らない」「箸の持ち方が下手な人は教育をきちんと受けていない」「A型は几帳面」「このような振る舞いの若い女性は早く結婚する」「理系はコミュニケーションが苦手」「こういった服装を好む人は……」

こんなよくある文字にできるはっきりしたことだけじゃなくて、みんなそれぞれ口にしないけど思ってるようなこともたくさんあるんだろう。厄介なことに経験に基づいた判断というのはある程度当たるのだ。そしてその考えを強くしていく。差別との境界線はどこだ。世の中は差別ばかりで常に差別をしながら回っているのかも知れない。そうならないようにするには、結局はつまり、人をその人個人としてちゃんと見ようとすることが差別に転がり落ちない方法のひとつなんだなぁ。

 

夜に書いた以上の文を朝に読み返した私A

「当たり前のことをそのまま書いてもつまらないのよ」

私B

「面白いかどうかじゃなくて自分の考え方がいつのまにか悪い方に転がり落ちたりしないように形にしているだけなのよ」

私A

「それは中学や高校レベルでやることじゃないのかしら」

私B

「そのときの私は正しいことは当然のものだから見失うことがないと思う傲慢さがあったのよ」