海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

自己啓発という単語が苦手

 

自己啓発という単語について最初に触れたのはおそらく本屋の本棚で、そのころの私にとってそれはなんだか胡散臭くていかがわしいもののようなイメージだった。

 

いまでもそんなイメージが自分のなかにこびりついているのが否定できない。

上っ面。芸術や学問と逆のところにあるような感じ。大切なものを取りこぼした変なビジネスのイメージ。

 

しかし自己啓発、または自己啓発本というのはあまりに範囲が広い。ここが問題。そして自己啓発そのものは社会で生きていくうえで必須であるから、その単語自体にアレルギーを起こしている場合ではないんだよなあ。

自分がなにかしらで困っているときに他人であったり他の視点というのは解決の糸口になることもある。

 

しかし自分の考え方や行動をあまり信用のおけないものに変化させられるみたいな感覚と、(経済的、社会的に)成長することがなによりも素晴らしいみたいな世界に抗いたいという感覚もある。

 

だからまあ、社会人としての人格の形成というのを本来の自分とは全く別のところでできるようにしなきゃなあとも思う。

 

うーんなんだろう、ずっとモヤモヤしてるんだよな。

 

『問わず語りの神田伯山』で「自分で探していくのが楽しいよね」って言ってるのが一番納得したなぁ。

しかし自己啓発読んで実行してるだろう!って指摘するのはヤベェと思いました!!

これこそ本音が聞ける問わず語りだなと思ったエピソードだったな……笑

 

『問わず語りの神田伯山 石田ひかりさんが聴いている〜漫画を大人買い自己啓発本に気をつけろ!』

https://nhsw9.app.goo.gl/GpBR #ラジオクラウド #TBSラジオ

 

自分の信念や価値観、目的は忘れずにいればいいのかもしれないね。

 

愛に証明書はないのよ

 

好きならそんなことしないんじゃないの?、って潔癖になって勝手に辛くなったことがめちゃくちゃあります。

 

家族関係、恋愛関係、友人関係…仕事もか?

 

相手と深い関係だと(その頃の)私の存在理由にも関わってしまうので、意固地になってしまう。

どーーせ私のことなんていらないんでしょ!!嫌いなんでしょ!!って思うけど、そんなこと言うのは子どもっぽいから言わない。今思えば、子どもっぽくとも本音を言ったら否定してくれて解決したのかもしれないね。

 

少なくとも子どもの年齢ではない今であれば、人は正しい愛し方を知っているわけではないと分かります。

ずっと同じレベルで同じ種類の好きを維持できるわけではないことも分かります。

白か黒かではないことを知っています。

だから黒である証拠を集めて白ではないと潔癖になることには意味がないのだと思うようになりました。伝わるかな。

 

今であれば、人には得意不得意があることを理解できます。

例えば、指摘されたときには感情が混乱してしまってすぐに謝れないこと。遅刻しがちなこと。うまく本音が言えないこと。優先順位を間違えてしまうこと。

人として良くないというのは確かそうで、でも欠点がない人間がいないというのも事実。

お互い様ということを知っています。

その欠点を擁護する必要も受け入れる必要もないけど、その欠点のせいであるはずの好意まで否定しまうのは悲しい。

 

好きじゃないんでしょ!という感情にまで発展させないで、不満があればその不満だけの問題としてどうするかを考えると息がしやすいのかもしれない。

 

いろいろ分かるまで大変だったな!

 

 

 

人間動物園、YouTube

 

YouTuberの動画で、一般から依頼者を募って浮気調査をしているものがあって怖くなってしまったよ〜〜〜〜

 

デートの予定をドタキャンして、そこにYouTuberが声をかけてどうなるか!?という流れ。

 

こわ!!!!!

 

デートのためにいろいろ用意して時間あけて待ち合わせ場所まで来てるのにドタキャン!!

ひど!!!

その後に話術のある小綺麗な人間に話しかけられたら、どうせ暇だしご飯くらい、ってだいたいの人がなるんよな!!

そんで今までの本音とか恋愛経験とか聞かれるとしがらみがない知らない人だからペラペラ喋っちゃうのよ。

そりゃ付き合ってる相手に対して言いにくい過去や本音ってあってもおかしくないじゃんね。

でもやっぱり依頼者はその様子を見て動揺するわけで。

そこで依頼者を慰めたり常識的っぽいことを言って落ち着かせるYouTuberグループ〜!!!!

てめぇら優しそうな顔してるけど人の不幸で金稼いでるからな〜!!!

「落ち着いて」「水飲む?」って言ってるけどこれが見たかったんだろ〜!!

誰も幸せにならないじゃんこんなの〜!!!

人間関係において試す行為というのは最悪の手段〜!!!!!

相手からの信頼もなくすぞ〜〜!!

 

大事な恋愛関係ならこんなのに依頼して実質的に利用されて煽動されてコンテンツになるんじゃなくて相手と向き合えよ……と思わなくもないけど経験しないと分からないことというのはこの世にたくさんある……あるよね…

 

しかし動画が面白くて見ちゃう私も私なんだよな!!

私の学生時代とかだったらどうしてただろうな〜〜 基本的に繁華街で声掛けてきた男性はガン無視する冷たい人間なんですが……

関係が上手くいってない時にドタキャンされて一生懸命おしゃれしたのも楽しみな気持ちも無駄になって自暴自棄になって、今ならナンパでもなんでもついてくわ!って思いながら歩いた経験思い出したね…

しかしキレているときは絶対誰も声かけてこないものなのです。重いオーラだして早歩きになるからね……

だからナンパについて行ったことないけど、こういう企画をたくらんで声かけられたらご飯くらいついていっちゃっただろうな!

 

まとめ!

浮気も人を試す行為も絶対ダメ!

 

 

ゲームが苦手な人の頭の中

 

ゲームに苦手意識が強い。

 

ゲームって普通楽しいものなのでは…?なぜ私は苦手なのか??ということについて考えてみようと思うよ。

 

①「コミュニケーションツールとしてのゲームを理解していない」

目的がゲームではなく、人とコミュニケーションを取ることが目的でゲームをするという現象の存在をあまり認識していない。

また、コミュニケーションが苦手ゆえに人とゲームをやって楽しいという体験に乏しい。

 

 

②「手を動かす作業を好まない」

手作業がまったくできないわけではないが、作業自体を楽しめない。それよりも頭でごちゃごちゃ考えるほうが好き。作業はなるべく省いて効率が良いほうがいい。 

 

③(①+②)「なぜゲームをやるのかが分からない」

ゲームが作業に思える。作業的な勉強と私のなかではカテゴリーが同一である。ゲームという作業の目的はなんなのかつい考えてしまう。

 

④「向上心が低い」

なにかと戦って勝つことやランキングで上に行くこと自体には快感を覚えにくい。上に行くことを目指すなら理由が必要。(特にゲームにおける空想の世界では理由となるメリットを見出せない)

 

⑤「コレクター気質がない」

集めてコンプリートすることに快感を覚えることができない。過程がめんどくさく、耐えることができない。手に入る範囲で手に入れば良く、そのなかで欲しいものの上位が手に入ったら嬉しい。(中身見えないタイプのグッズとかもこのテンションで、交換の取り引きとかもしないタイプ)

 

 

ここまで考えて思うことがある。

あれ、私、怠け者のクズだな……????

だからゲームができる人って凄いなと思っている。マジで。ゲームで必要な要素って現実でも必要な要素でしょ。現実があり、そこから生まれたのがゲームという空想の世界(ボードゲームだって空想の世界)で遊ぶものなので根本的な仕組みが同じなのは不思議ではない。むやみに子どもに禁止したりするものじゃないなと思う。

 

話がズレた。苦手意識のあるものについて考えてみたら自己理解が深まったような気がするよ。主に欠点についてだけどね!まぁそういうのも必要だよね!わはは!おわり!

 

 

 

 

 

抽象的な決意

 

とても抽象的に書こうと思います。

 

 

人が決断するときは、今よりも良い方向へ行ける道を選ぶ。

 

どんなにネガティブでも、逃げるという趣旨であっても、最終的な決断は良い方向へ向かえる道を選ばなければならない。

 

なにを良いとするか、また、向かう方向を良いものに結果的にできるかどうかは自分次第でもある。

 

学生時代に進路だのなんだの決断してきたときは未来しかなかった。なにも持っていなかったが、そのぶん身軽さと若さがあった。強制的に時が過ぎたら前に進んでいた。

今はなにかしら決断をするときは過去と現在も天秤に乗ってくるようになった。20代後半、歳を取ったなと思う。歳を取ったからこそ未来に明るいものが欲しくなるようになった。10代の頃のなんでも吸い込むスポンジのような頭はいつのまにかなくなり、身体もこれからは老いていくばかりだという事実を実感として理解している。

その下り坂の身体を持ちながらただ生活のために様々なものを見失った毎日を繰り返すことには耐えられない。

耐えた先にはなにもない。

 

すこしでもなにか積み上げられるものを。

世の中に愛おしいものを。

未来への希望を。

すこしでも良い方向へ。

若さがなくなってきたことを自覚したら前を向くしかないのだ。天秤にかけて選ばなかったものを無駄にしないためにも心を強く持つしかない。

私の人生は私のものでしかない。

大丈夫、なにも怖くない。 

 

追記📸

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尾身会長が「ブチ切れ」したもの

自分の中で考えたこととして残しておきたかったので書きます。

 

 

尾身会長のメッセージが世間に上手く伝わっていない苦しみがアベマの動画(https://youtu.be/WCDrIHwiV9g)から分かります。政府やメディア、国民、それぞれの立場や考えがあることを理解されたうえでの苦しみ。


 

メッセージが正しく伝わらないというのは「尾身会長ブチ切れ」と話題になった以下の発言でも感じました。

 

「宣言拡大」中・・・拍手起きた尾身会長“バッハ批判”(2021年8月26日)

youtu.be

 

「バッハ会長なんでわざわざ来るのか」

「銀座に一回行ったんでしょう」

という強く短い文だけが印象に残っている人が多いのかなとコメント欄やツイッターでの反応をみていると思います。バッハ氏のこれまでの行動に不満をためていた人も多く、それが弾けたような反応もみられます。

 

ネットニュースでも以下のようなものがあり、バッハ氏批判とのみ受け取っている人が多くいるのでしょう。確かに尾身会長の発言はバッハ氏が来日したという事柄を批判しています。

 

尾身会長ブチ切れにバッハ陣営「呼ばれたから来た」の呆れた反論(女性自身) - Yahoo!ニュース

舛添要一さんが尾身茂会長をバッサリ「バッハ会長を吊し上げる行為は科学者の発言とは思えない」「人事と予算ぶんどりに長けた政治家」(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

高橋洋一氏がバッハ会長をめぐる尾身会長の発言に噛みつく「なんていうことをいうのか」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 

 

しかし、尾身会長の発言の趣旨としては、テレワークを要請しているのになぜバッハ会長の挨拶をオンラインでやらないのか、つまり政府のメッセージの統一性が保たれていないというところにあると思います。

 

【全録】尾身会長が苦言「バッハ会長なぜ来るのか」再来日を非難

youtu.be

 

この動画では、バッハ会長の行動については尾身会長に質問した議員に反応するかたちで言及しているのが分かります。

一例であることを明確にし、国会議員へテレワークを推奨していることにも触れ、一般庶民として、など言葉を尽くしていることも分かります。

 

バッハ会長に声を荒げているのではなくて、政府の自粛してほしい、感染対策してくださいというメッセージとオリンピックの開催方法などが一致していないことに声を荒げている。

大雑把にいえば政治に対する苦言なのだと受け取りました。個人の名前は一例にすぎない。

 

このようなことは発言の流れをみた人であれば、誰でも分かることだと思います。別に難しい解釈や知識が必要なわけではない。

しかしながら、世の中の不満感、短い尺で伝えたいTV、PVを稼ぎたいネットニュースの特性などなど様々な理由からメッセージがニュアンスの異なるものとして広まってしまう。

 

こういった現象があるのだときちんと認識しながら、得た情報を確かめて、社会を認識していかなければならないなあと思います。

 

 

 

 

 

感想『旅する練習』乗代雄介

 

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淡々と進む旅が何故こんなに愛おしく感じるのだろうと思いながら読み進めていた。

 

サッカー少女である亜美は綺麗だった。あまりに綺麗すぎたのだ。亜美の表情が頭の中から離れない。

 

途中で出てくる、みどりという女性には多くの人が共感を覚えるだろう。なぜならば世の中の大半は私も含めてみどり側の人間だからだ。

 

小説家である亜美の叔父は書くことに真摯に向き合っている。書くということは、とても矛盾している行為なのだと思う。

 

自室の本棚を見ながらここにある小説には全部人間のことが書かれている、という当然のことにふと思いを馳せた時を思い出した。あれは高校生くらいのときだっただろうか。

目の前にある本たちには、何百ページにも渡って人間のことが描写してある。それは他者である人間が読むために書かれたものだ。人間のことを人間のために書く。それは人間に対して愛情がなくてはできない。小説の集まった本棚を眺めながら、それはほぼ狂気とも言っていいようなものに思えた。

 

小説は人への愛情に溢れたものなのだ!

そのことに気が付いた驚愕と興奮に虜になってしまい、その感情を書き残すことなくいつの間にか忘れたままでいた。

『旅する練習』は久しぶりにそのことを思い出させてくれる愛情と忍耐に満ちていた。