海底の先

日常や本、映画などで心が動いた瞬間を文章にします。

Q.食事の時間は必要ですか。

 たまに思う。生きるために必要な栄養が錠剤やカプセルで取れるなら、それだけでいい。

 

 疲れているとき、忙しいとき。ゆっくりと味を楽しむような食事や、楽に会話ができる人との食事がしばらくできなくなる状態が続く。甘いものは欲しくなる。しかしそれは即物的な快楽への追求であるから、いっそのこと食事をなくしてしまいたい。太るし。

 

 錠剤とカプセルを主食にする生活をしたら、私は元に戻れないだろう。私は綾波レイではないので、シンジくんに味噌汁を渡されてその美味しさに感動できる瞬間はやってこない。食事の楽しさとは永遠におさらばだ。

 

 それは嫌だなぁ。ぽかぽかしたい。食事を楽しめるときがまたいつかくると信じて急いでカップラーメンを口に押し込もう。

 食事=栄養の摂取、だけでなくて噛むことで刺激というかなんというかまぁ身体に良いことが起こっていてそれは必要なはずだ。たぶん。

 

 そもそも、私は綾波レイではないから錠剤とカプセルだけでは生きていけないんだけどね。

 

 食事が楽しかったという記憶で生きている。

 

         「終」

 

 上記の文章、「効率だけを重視するあまりに必要な部分を見失うなよ」「意識していないところにだって役に立っているときがあるのだ」という自戒で締めるつもりだった。

 

 でもその説教くささが嫌になったのだ!嫌になって放置していたら頭に浮かんだのが綾波レイ。何故。

 

 私にとってこのブログを書くことは、こうありたいという姿に近づくことでもあるのだと思う。それはインスタグラム的にハッピーなものや映えるものだけを切り取るということではない。

(インスタは嫌いじゃないし、やっている)

 

 どんな暗い感情でも醜い感情でも表現や展開で魅力的になる情報量を文章は持つ。

 だからたぶん、文章を書くことによって私は現実の私のままで「こうありたいという姿」に歩いていけると感じているのかもしれない。